2007年3月26日 (月)

横溝正史読んでます。(と市川崑ネタについて)

こと読書に関しては特にジャンルを決めず、何でも読むようにしている。最近借りてきたのは「憲法と平和を問いなおす」(長谷部恭男)、「対話の回路」(小熊英二)だったりするし。例外としては経済関係で、どうも経済に関しては私の低調頭具合ではどうしても理解できないので手に取る気にはなれないのだ。閑話休題。

ハニーコミヤマは非常なミステリー好きである。私もミステリーは嫌いではないし、むしろ小説読み始めた頃はポーやら江戸川乱歩を貪っていたクチだったりする。ただ最近は読まないだけで。以前彼と一緒に「犬神家の一族」を観に行った際、市川崑はどうしてこうも横溝正史の原作をダメにしてしまうのかとぶつくさ言っていたのが気になり、ちょっくら原作を借りてみた。恥ずかしながら横溝正史って全然読んだことないのです。イヤハヤ。だがポクっと読むと、意外に釣り込まれ、そこからはまってズンズンと読んでいる。

「本陣殺人事件」は、本格密室殺人事件モノとして有名。トリックにいささか無理があるような気もするが、それでもよくできていると思う。そして「獄門島」。見立て殺人モノというか、日本の因習と「家」意識といったうっすら郷愁すらかきたてられるような内容であった。旧世代と戦争後たくましく生きる新世代との世代交代を読み取れるところもあるのがいいよね、とハニーコミヤマ。だからあの映画「獄門島」はそういう要素を全部ひっぺがして「女のかなしみ」なぞという青臭い小さな金枠へ押し込めてしまっているからダメなのだ、と息巻く。それは私もそう思う。

市川崑という映画監督の作品について考える際、以前中野貴雄氏のコラムを読んでてでてきた林海象に対する感想ーーアイデア100点出来は赤点、というのをいつも思い出す。様式美はそれ自体で重用される場合もあるが、なんでもかんでも当てはまるというわけではない。「黒い十人の女」なんて船越英二の名演、ならびに山本富士子と岸恵子と岸田今日子と宮城まり子と中村玉緒が同じ画面に鎮座しているだけでおなかいっぱい感があり、編集が悪いので途中もたつく。つまりは退屈な映画なわけだが、スタイリッシュではあるので、様式美だけ鑑賞すればよろしいってな映画であったりするわけだし。「東京オリンピック」は山口瞳が「大衆を馬鹿にするな」って批判したぐらいで、ようは或る意味不器用というか己の図式にこだわりすぎるきらいがある。だから畳みかけるような展開とスピード感を重視するような「四十七人の刺客」なんて映画は大失敗したわけだ。まあそんな話はさておき。

横溝正史の原作自体様式美的な側面も有り、またそれを基調として映画を作りたくなる欲望に駆られるのは十分理解できるが、(そして撮れば成功するわけだけれども)どうも原作を読み進めていけばいくほどワンセットで語ってはいけないな、と思い始めた。ミステリーなんて様式美っすよっていわれてしまえばそれまでだけれども。とにかく面白いです。横溝正史は。

横溝正史自選集 2 (2)

横溝正史自選集 2 (2)

  • 作者: 横溝 正史
  • 出版社/メーカー: 出版芸術社
  • 発売日: 2007/02
  • メディア: 単行本


黒い十人の女

黒い十人の女

  • 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
  • 発売日: 2007/01/26
  • メディア: DVD

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2006年12月 3日 (日)

「母子叙情」

岡本かの子全集 (3)

岡本かの子全集 (3)

  • 作者: 岡本 かの子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1993/06
  • メディア: 文庫


新たな発見をする本、というのがある。歳月を経てもう一度読み返すと今まで気づかなかったことがわかるというやつだ。ダロウェイ夫人のような数少ない例外を除くと、頻繁に読み返す本なんてそうはない。岡本かの子のある種の本は、年をとってから読もうと熟成させる高級酒のようにとっておいたが、とうとう我慢しきれずに読んでしまった。あとはまた10年後のお楽しみである。

で、そのある種の本の中の代表格がこの「母子叙情」である。

この小説は明らかに作者本人と分かる「かの女」がパリ外遊を経て、かの地に残してきた息子「一郎」(これまた実子太郎であることが明確である)を思い、その焦がれを同じ年の男に転嫁させる、といったストーリーを耽美華麗な文体でナルシスティックに描いた作品である。濃厚な脂滴るステーキ、かくの如し。

なぜ封印していたのかというと、実に単純な話で自分に子供を持ったときに再び読もうと思っていたからだ。この「かの女」が一途に感情を奔流させる息子という存在が、やはり実際子供を持たねば理解できないと考えていた。だが、この小説はもっと奥深いところへ切り込んでいたのだ、と今日読み直してよくわかった。自分の読み込みの浅さを痛感する。

それは例えば以下の引用を読めば容易に納得できるはずだ。

『そう云えば、むす子の女性に対する「怖いもの知らず」の振舞いの中には、女性の何もかもを呑み込んでいて、それをいたわる心と、諦(あきら)め果てた白々しさがある。そして、この白々しさこそ、母なるかの女が半生を嘆きつくして知り得た白々しさである。その白々しさは、世の中の女という女が、率直に突き進めば進むほど、きっと行き当る人情の外れに垂れている幕である。冷く素気なく寂しさ身に沁(し)みる幕である。死よりも意識があるだけに、なお寂しい肌触りの幕である。女は、いやしくも女に生れ合せたものは、愛をいのちとするものは、本能的に知っている。いつか一度は、世界のどこかで、めぐり合う幕である。』

岡本かの子の小説に棲むこの魔−−「女のなげき」「人生に対する不如意」「白々しさ」−−それらは「普遍的」であるがゆえに、彼女の小説はどの年齢でも読まれるべきである。かの子の嘆きに身を埋め、女の嘆きと喜びは一体であると、私は知る。

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2006年2月 5日 (日)

中共の対日戦略の一端が明らかになるか。「延安リポート」

非常に楽しみな本が2/24発売される。

延安リポート ―― アメリカ戦時情報局の対日軍事工作 ――

大戦末期,アメリカの軍事視察団が延安を訪れた.日本兵捕虜を使って有利に戦いを進める八路軍の戦略にアメリカは多大の関心を示し,中共側も進んで情報を提供した.米戦時情報局が野坂参三らの協力を得て作成したリポートは,戦後の米中関係の悪化で長い間ベールに覆われていたが,この度情報公開された.これはその全訳である.

                       以上岩波書店紹介ページより引用

今朝産経新聞を読んでいたら上記本の紹介があった。その部分を読んでかなり購読意欲をそそられた。2/4付産経新聞東京版朝刊の紹介によれば、『この延安リポートは、中国共産党(中共)による対日プロパガンダや日本捕虜に対する“洗脳的教化”の実態を調査したものだが、戦後の米国の対日・対中政策にも影響を与えたとみられており、貴重な一時資料といえそうだ』とある。

さらに同記事内容を引用すると、

 リポートの「捕虜の扱い方」では、中共は「一般的に日本人の自尊心は非常に強い」と洞察し、日本人捕虜を質問するさいには、「優しく、穏やかに」と指導。また、負傷した捕虜には手当を施し、戦場の日本への死体を「一時的な感情」から損傷することを戒め、逆に大事に葬り、墓標をたてるべきだ、と説く。
 こうした指示は一見、人道的だが、その根底には一般の日本兵や日本人が戦争を遂行する指導部を嫌悪し、「否定的な厭戦気分から積極的な反戦意識」を持つように教化するための中共の冷徹な計算があった。後に中共側の98人の日本兵捕虜に対して米側が行った「意識調査」では戦争や天皇制を否定する声が9割を超した。

とあるからかなり緻密な計算が行われていたことを、このリポートが示唆しているようだ。このレポートの主要執筆者の一人ジョン・エマーソンは後にGHQのマッカーサー政治顧問付補佐官を務めたりしているので、例えば真相箱といった放送内容などにもこの中共が行った教化政策の一端を利用している可能性は否めないだろう。ホンカツなんて言う人も、何十年たった現在もなお、この教化政策のなかで生きている化石みたいな存在だろう。
ただ私としては、果たして「冷徹な計算」ということだけで日本兵に対し徳をもって応じていたかという疑問点は浮かんでしまう。おそらく情をもって接することも、冷徹な計算も、どっちも真実なのではないだろうか。中国という複雑怪奇かつ怪物のような形成する要因を侮ると日本はまた対中問題を見誤るおそれがある。とまれ、非常に楽しみな本である。

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2005年9月 7日 (水)

最近買った本

いまさらながらの三冊。

■靖国神社と日本人              小堀桂一郎
■全現代語訳 日本書紀            宇治谷 孟
■ニーチェ どうして同情してはいけないのか   神崎 繁

ちなみに「靖国問題」高橋哲哉はミッチェル所有につきバランスよく読みたいなと。ニーチェ本は副題にひかれました。時間があればこれもレビュー予定。

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2005年9月 6日 (火)

伝説の名著「電氣菩薩」根本敬先生のソウルに触れるべし!

某巨大掲示板の○西さんスレでお世話になっている佐賀さんが、拙ブログにいらっしゃった。そういうわけで(どういうわけだ?)ココログに掲載していた、根本敬先生の伝説の名著「電気菩薩」についてのレビューをコチラに転載したいと思う。サブカル全開なので、わからない人にはさっぱりわからないとは存じますが、以下のレビューや過去の「映像夜間中学」関連記事を読まれ、興味を持たれたらその因果律の世界を覗いてみてはいかがでしょう。
ただ、この「電気菩薩」はいうならば“秘伝の奥義”とでもいうべき内容なので、まずは「因果鉄道の旅」「人生解毒波止場」から入ることをオススメいたします。「人生解毒波止場」は、このあと登場する川○さんを(あっさり)知るにはちょうどよいかと思われますので是非読んでみてください。

電気菩薩―豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ〈上〉

電気菩薩―豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ〈上〉

  • 作者: 根本 敬
  • 出版社/メーカー: 径書房
  • 発売日: 2002/01
  • メディア: 単行本

ついに、ようやく、やっと、根性で、長い道のり、といくらあっても語れないほど、探しまくった根本敬著「電気菩薩」を、入手できました…長かったよぅ。これはまさにフィールドワークを行う上でのバイブルです。行わなくてもバイブルか。とにかく聖書。手引き書、人生訓、その他、すンばらしい内容が満載。読んだ後はポシンタンをがっつり食いたくなるのはまさに「定説」です。

私の大学の先輩である(わはは)佐川一政氏(パリ留学中にオランダからの女子留学生を殺し、屍姦し、そして食べた。詳細は「パリ人肉食事件」で検索してみてください。)について、多くの章がさかれており、マーダーケースブック好きな私としては彼のソノ後、に、やはり興味が尽きない。(しかしコリン・ウィルソン。頼むから、同じ内容で題名だけ変えた本を佃煮にできるくらいだすなよ。回数ばっかり多いが濃度のうっすい精液みたいに。だすことに意義があるんだな、ありゃ。買って読んでおんなじ内容だったことを知った日にゃ、金返せしかいえません。)

それにして、も。

やはり根本=幻の名盤解放同盟=K西杏、この存在は欠かせない。
(K西さんとは調布付近で不動産業を営んでおられる社長さん。シンガーソングライターとしても「有名」で、人生をかけて在日差別と闘っておられる。だがその闘いぶりは…。ともかく詳細は「人生解毒波止場」を読んでください。)
今回もK西杏さんについて、かなりの章が(ほとんどといっていいくらい)あてられているのだが、それでも語り尽くせない。過去、根本氏の著作の中で陰に陽にどれほど触れられてきたか。そのことを思えばその「存在」の巨大さ苛烈さにしみじみと感慨深いのだ。
そしてK西さんと私との因果でいえば、実はミッチェルは調布近辺に住んでおり、駅ではご本人を何度も目撃していたりする。しかもミッチェルのアパートはK山ハウジング(K西杏のお店。よい物件ありマス)で紹介してもらったという。そもそも仲良くなったきっかけも、ミッチェルがK西杏について詳しく、私は根本先生ファンであり、知り合ってしばらくしてから「えー、なんでK西杏知ってるの?」と、お互いのその事実に気づき、ひたすらその因果に慄然としたことにある。かくして私は根本先生を教えて、ミッチェルからはK西情報を教えられ、夜間中学に二人して通うようになり、現在に至る。やー、ワザワザだなあ。


↑これが噂の「烏山ハウジング」
しかも駅周辺のあちらこちらには「仔猫もらって!カワイイ」だの「シイノキ供養祭を×/×にやります」といった張り紙があり、まさにK西杏から逃れらないかんじ。

去年の夏、調布駅で歌謡ショーの準備するK西杏を見た。(それも初めて調布駅に行ったときに。ミッチェルが入院して見舞いに行った際だったなあ。)後ろにトラック(張り紙付き。在日の差別をなくせ!とか、チマ・チョゴリ事件に対して調布市長は謝罪せよ、とかそんなの)、その前に布が敷いてあり、ステージなのかな。真ん中にスペースがとってあり、風で布が飛ばないようにするためか、左右に椅子が置いてある。向かって右の椅子にはパンダかなんかのぬいぐるみ、左の椅子には綺麗に飾られた愛子様の写真(…。ちなみに愛子様カワイイ!という張り紙もアリ)。K西さんはまだ開演までに時間があるのか、トラックでなんか作業していた。このときはチマ・チョゴリだったように思う。そのバックには歌が流れていた。曲不明。

病院に行くバスに乗ってたら、金子ホールも見た。汚いフツーの民家系?デカイ看板がないと気づきませんでした。駅に行けば「金子祭り」のノボリもって立っているし。ここしばらく見ないな、と思ってたら、某巨大掲示板のK西さんスレにおいて、駅前に立っていたら、「電氣菩薩読みました」って通りがかりのヤツにいわれてファビョって入院したらしい、との書き込みがあった。

解説:ファビョる=火病(ハングル読みファビョン)のこと。「火病」の正式名称は「鬱火病」。 韓国・朝鮮人にだけ現れる特異な現象の精神疾患。 英語表記はwapyung。 怒りを抑えすぎて起こる、強いストレス性の精神疾患。強いストレスを適切に解消できず、我慢することで胸が重苦しくなる症状を指すという。 夫の浮気など、自分の思い通りにいかないことが重なり、それを胸にしまい込んで生きている女性に主に現れる。ひどい場合は死に至るという。 具体例としては、2002年の韓国大統領選挙中、投票日前日ににノ・ムヒョンへの支持を撤回したチョン・モンジュンや、2003年の冬季アジア大会の女子アイスホッケーにおいてカザフスタン戦で20-0というスコアで負けている最中に試合を放棄したことなどが挙げられる。 ヤフー百科辞典によると、1970年代後半から論議され、体系的に研究が進んでおり、「九六年、米国の精神科協会では、この火病を韓国人にだけ現れる特異な現象として精神疾患の一種として公認し、文化欠陥症候群の1つとして登載している」という。(以上2典Plusより引用)そこから転じて、怒りや興奮のあまりとんでもないことをしたり、やった人のことをファビョる、ないしファビョーンと2ちゃんねる等で主に利用されるようになった。2ちゃん語ですまんな。

K西さんをそこまで激高させる、その電氣菩薩。下巻があるが、発刊されていない。それどころか、この上巻ですら追加増補できない有様。まさに幻の名著と化している。不可の理由は、K西さんがその内容に激怒し、出版社や関係者宅に電話&FAX攻撃をしたせいだ…云々と、まあこんな風にマエフリだの伝説だの聞かされた日にゃアナタ!読むしかあるまいて。

それにして、も。

K西さんについて書かれた箇所を読んでも、そこには、根本敬先生の捧げる愛が燦然と輝くのみで、何故彼が血圧の上限を振りきったような抗議運動をしたのか、まったくわからない。ここでのK西さんのしゃべりは「~だわ」「~よ」といういわゆるオカマしゃべりである。確かに記述内容(根本妻に対する異常な嫉妬、あるいは同盟員に対する独占欲、女性っけのなさ等)からしても、彼はおそらくソッチ系の方じゃ…という印象はぬぐえない。そこが疳にさわったのだろうか。ただ、根本先生の方では、巻末で、これ以上ないほどの愛の告白をしている。ここまで愛されているのに。否、だからこそ、あそこまで彼を抗議に駆り立てたのだろうか?

亀が甲羅からすっぽ抜けたような亀一郎(中卒土方)や、自分の幼い娘を裸にし、ビデオ撮影させた鬼畜と罵られ、逮捕→実刑をくらった淫乱天使・ママ野際(ここまで性的に淫乱放埒になるという生き方だと、女ならある意味憧れるんじゃ…)イイ顔の智恵遅れのおっさん・平やン(平やンが監督することになったAVの、自作脚本がまたイイ!)等登場するが、やはり印象的なのはK西杏と佐川一政の両巨頭。ちなみに神軍平等兵こと故奥崎謙三氏も登場します。女装姿に注目。彼が出演した「神様の愛い奴」関連の話題がチラっとでてきます。

神様の愛い奴

神様の愛い奴

  • 出版社/メーカー: J.V.D
  • 発売日: 2003/08/08
  • メディア: DVD
(↑性器の世紀の問題作「神様の愛い奴」。途中で制作者側のごたごたがあって、この作品自体は根本氏の認めたものではない。そういう事情についてや諸々の神軍平等平関連の話題は、下巻にて主に触れられるらしい。だから下巻を…ああ…溜息)

最初から最後まで圧倒されっぱなしの本書において、最高のエピソードだったのがエピローグだ。まさに圧巻。登場するのは佐川一政氏だ。この本が書かれた頃、最高に精神的不安定だったらしい。彼はついにもう一度誰かを殺し、それを食べようとまで追いつめられたそうだ。その話を仲のよいSMの女王様にすると、彼女ははらはらと美しく涙を流してこういった。

「佐川さん…なにも、そんな惨めな死に方をしなくたって…私が7年後、アナタを殺して食べてあげるから、それまでに傑作をものにしなさい。」

彼は本当に嬉しそうな顔で根本氏に言った。

「僕はもう安心です。食べてくれる人がいるのだから」

これを美しいといわずしてなにをいうのだろう。

私はこの箇所にひどく動揺し、胸をうたれた。慟哭せねばならぬほど。今月は夜間中学、絶対いく。行かねばなるまいて。

追伸:読了した次の日、近くの駅で実にイイ顔のオヤジを発見した。
廃品回収業の袋を横に、道ばたで体育座りをしていた。失敗して焼けこげた鍋底のような皮膚をして、夕日にてらされていた。斜視気味の目はどこをみているかわからず、恍惚を見事に体現、具現化したような笑顔を浮かべ、ずっと座りこんでいた。画像撮ればよかったなあ。例のディープコリア写真術で。

人生解毒波止場

人生解毒波止場

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2001/10
  • メディア: -
故ナンシー関が「人類必読の書」と言い切った本。電気菩薩とでもいうほかのないすンばらしい人びとが織りなす曼荼羅。人生を変える書です。

因果鉄道の旅―根本敬の人間紀行

因果鉄道の旅―根本敬の人間紀行

  • 作者: 根本 敬
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 1993/05
  • メディア: 単行本
根本敬先生の原点ともいうべき本。フィールドワークというものはなにか?について考えさせられます。まさに人生万歳を高らかに宣言する書。

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速度が問題なのだ(鈴木いづみと私)

「速度が問題なのだ」

この言葉は36年の生涯に自らケリをつけた作家・鈴木いづみの傑作エッセイ集「いつだってティータイム」の冒頭の言葉である。夫のフリージャズメン・阿部薫とともに、彼女は使い切るまで速度を上げ続けた。

私が学生の時、当時週刊SPAに連載中の、中森明夫氏のコーナーにて「鈴木いづみアンコール!大森望さんへの手紙」と題して彼女が紹介されていた。それが私のファーストコンタクトである。興味を持ち、早速(当時はそれしか手に入れられなかった)「ハートに火をつけて」を取り寄せた。

鈴木いづみコレクション〈1〉 長編小説 ハートに火をつけて! だれが消す

鈴木いづみコレクション〈1〉 長編小説 ハートに火をつけて! だれが消す

  • 作者: 鈴木 いづみ
  • 出版社/メーカー: 文遊社
  • 発売日: 1996/09
  • メディア: 単行本
(↑amazonに簡単な書評を書いてます。参考にどうぞ)
以来、彼女の本を校内にて持ち歩き、さながら一日の生活を共にするような日々を送った。「アナタ、鈴木いづみ、好きなの?」ある時、そんな私に声をかけてくれた一人の事務員の女性。その方は、前述の本にも登場する、ある有名な音楽評論家の奥様であった。竹下さん(仮名)は私に、鈴木いづみに関する様々な話を教えてくれたり、或いは著作をかしてくれたり、余っていたから、と阿部薫覚書までくださったり、いろいろと便宜を図ってくださった。
阿部薫覚書―1949-1978

阿部薫覚書―1949-1978

  • 作者: 阿部薫覚書編纂委員会
  • 出版社/メーカー: ランダムスケッチ
  • 発売日: 1989/01
  • メディア: -
阿部薫1949~1978

阿部薫1949~1978

  • 作者: 山下 洋輔, 中上 健次, 村上 龍, 坂本 龍一, 五木 寛之, 間 章
  • 出版社/メーカー: 文遊社
  • 発売日: 2001/01
  • メディア: 単行本
(当時阿部薫覚書は入手不可能だった。文遊社から阿部薫1949~1978として再刊されたのはずっと後のことだ。ちなみに竹下さんの夫君は「阿部薫覚書」には寄稿しているが、阿部薫1949~1978には寄稿してない。出版社の担当者といろいろとあったようだ。)
その後鈴木いづみブーム(?)が起こり、稲葉真弓のモデル小説「エンドレスワルツ」が若松孝二監督によって映画化された際、竹下さんと見に行ったりした。不失者の灰野敬二さんの話を伺ったり、また、坂本龍一氏がお正月、遊びに来たりしていた話を聞いたり。今はどうしておられるのだろうか。竹下さんからお聞きした、鈴木いづみに関する興味深い逸話をいくつか紹介したい。
**
私が仕事から帰ると、家の前の門のトコロにちょこんといづみが座っていてね。なんだか寂しそうに、いつからいたんだか、ずっと座っていたような感じで。家に入れると、ありったけの石鹸を使ってお風呂に入っちゃう。香水もものすごく使って…。大変な匂いだった。
とにかく電話がスゴイの。それも真夜中とか。延々喋っていてね。会話内容は…覚えてないな。ずーっと一人で喋っていて、アタシはうん、うん、と聞くだけ。それで「ゴメンネ、いづみ、明日仕事だから」ってまだ話しているいづみに申し訳なく思いながら、無理矢理電話を切ったの…。
阿部君は本当に小さくてね。緑の顔をして。とにかくサックスさえ吹ければそれでいいって感じだった。
ウチにも女の子がいたから、洋服あげたりして…。Aちゃんを預かったりしてたの。もしAちゃんと連絡が取れるところがわかれば、教えて欲しい。お願いね。

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約束が果たせなかったことだけが、とても無念だ。

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2005年8月24日 (水)

ららら科學の子(失われた時間と不運にすごされた年月をおぎなう法)

ららら科學の子

ららら科學の子

  • 作者: 矢作 俊彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/09/25
  • メディア: 単行本

矢作俊彦はなぜ現在こんなにまで不遇なのだろうか。
代表作といわれているものは手に入らないし、新刊が出ることも稀だ。
このあたりは小林信彦とよくにていて、文学というのがショセン、マニアが一方的に偏愛するものに過ぎないことがよくわかる。文学オタクなんて言葉も生まれるぐらいだし。すでに基礎教養ではないのだ。つい何十年か前まで、マルエン全集に触れたことがないなんて、ある程度以上の大学生にとって非常な恥であったのに。

「ららら科學の子」はあの懐かしき60年代学園紛争のさなか、警官殺人未遂を起こし指名手配された主人公が「軽い気持ちで」中国における文化大革命をこの目で見ようと手引きされ、密航したのはいいが、農村下放に巻き込まれ、以来電気もガスもない山奥の農村で30年にわたり生活するハメにあった後、21世紀初頭の現代日本に戻ってくる。そして自分の「失われた時を求めて」カルチャーショックなどという言葉では到底間に合わない文明の衝突を経験し続ける物語である。

この本を読んでいる間、カスパー・ハウザーが出現当時所持していたお守りのセリフ-失われた時間と不運にすごされた年月をおぎなう法-について考えていた。カスパーとこの物語の主人公は同じ意味を生きる。

よく編集された映画を見るように、現代と中国奥地での非文明的な生活、30年前の熱くあつい日々が見事にカットバックされている。それはあの「意識を流れ」を表現した「失われた時を求めて」「ダロウェイ夫人」と同じ薄皮を丁寧に貼り合わせた人間の記憶、薄皮をはぐとその下からあらわれる別な記憶、記憶と記憶と記憶の連続性のなさ、そこに通底する意識の流れ。過去へ行きつ戻りつしながら、彼は自身というモノを見る。
それは私の姿であり、人々の姿であり、日本という国の姿でもある。

前作「あ・じゃ・ぱん」(東西冷戦下において日本が東日本をソ連領、西日本をアメリカ領として統治されたという設定の偽日本史)と同様に、「30年前を生きる日本人が凍結されたマンモスさながらに突如現代日本に現れ、文明の衝突に体を揺さぶられ続けながらも自分自身とは何か、答えを見いだしていく」どうしてこういう設定を考えつき、なおかつSFにならないというアクロバティックな離れ業を成し遂げられるのか、と驚嘆せざるをえない。つくづく天才を思う。

岡崎京子を読んだときも思ったけれど、同時代に天才が生き、その人の書いた本をリアルで読める、それは何事にも代え難い歓びと興奮である。

矢作俊彦という一人の天才が、あまりにも評価されなさすぎている現状に怒りよりも呆れと冷笑をかんじる。

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2005年7月16日 (土)

今日の読書【北原白秋と江口章子】

文人悪食

文人悪食

  • 作者: 嵐山 光三郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/08
  • メディア: 文庫
ここ過ぎて―白秋と三人の妻〈上〉

ここ過ぎて―白秋と三人の妻〈上〉

  • 作者: 瀬戸内 晴美
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1987/03
  • メディア: 文庫

ここ過ぎて―白秋と三人の妻〈下〉

ここ過ぎて―白秋と三人の妻〈下〉

  • 作者: 瀬戸内 晴美
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1987/03
  • メディア: 文庫

ふと気になって、北原白秋の二番目の妻だった江口章子(えぐちあやこ)についていろいろと読んでいる。きっかけは「文人悪食」(嵐山光三郎著)にかかれていた「最後は糞尿にまみれて狂死した」という一節だった。(文人悪食についての感想はまた後日)
北原白秋といえば最初の妻-人妻と不倫関係に陥った白秋は、その夫から姦通罪で訴えられ、名声を得た人気詩人でありながら入獄の憂き目にあう、その人妻であった俊子が有名であるが、この人も晩年は間違えて入院させられた隔離病棟にてひっそりと亡くなっている。三番目の妻である菊子夫人は幸福なうちに大往生を遂げている。この違いはなんなのだろうか。

とりあえず作家愛欲ネタならこの人だろうと瀬戸内寂聴「ここ過ぎて」を読む。ただこの本は既にでているいくつかの本を下敷きにして書いているため、本来ならそれらも読むべきであろう。基本的に白秋とその三人の妻の話だが、江口章子についてかなりの頁が割かれている。この本を読んでわかったのは、北原白秋は肖像画などでみる穏和そうな外見とは異なり、やはり芸術家にありがちな独裁者ぶりを遺憾なく発揮していたんだな、ということ。最初の妻とはあのように大もめに揉めた挙げ句添い遂げたにもかかわらずあっさりと捨ててしまっているし。しかし半ば教祖と信徒というような状態であった二番目の妻章子については、突如章子が意味不明な行動をとり勝手に家をでていってしまったのであって、そういうことをしなければずっと白秋夫人でいられたのに。この本をいくら読んでも、なぜ章子が心変わりをしたのかイマイチわからない。全く突如として変心してしまう。おぼろげながら推測できるのは、つまり彼女はそういう人であった、ということだ。物事がうまくいきかけると、自らそれを壊さざるをえないというか。生来の破滅型、破壊型であったのだろう。
二人の妻はその気質-俊子は気性の激しさから、章子はその盲目的な従順さにより選ばれたが、同時に気質故の限界点を突破できず、もろくも“敗れ去って”いき、それぞれのまた性質なりの後半生を送っていく。矜持を保ったまま生きていく俊子はまだよいが、人に頼り切ることでしか生きていけない女であるにもかかわらずその自覚が全くない章子は、悲惨を立体化させたようなその後を送るハメになってしまう。幸せを掴みながらも、客観性のなさと脳病(早発性痴呆症と診断されているから現代で言えば統合性失調症になるのだろうか)により、自ら舞台をおりていく。生家は明治時代でありながら蒸気船を保持するような分限者だったにもかかわらず、章子が成長するにつれ、どんどんと没落していく。子供が人一倍好きなのに自身は最初の夫にうつされた性病により石女だった。夫の浮気に耐えかね上京し、白秋と出会ったその日に体を合わせた。添い遂げ白秋の貧乏時代を支え続けたものの、他の男との浮気により捨てられ、京都の名刹に嫁ぎながらも法会の最中裸で駆け回る狂態を演じ、愛想を尽かされ、脳溢血による半身不随になった上、養老院に送られ虱だらけになり、最後は化け物屋敷のように荒れ果てた実家の、土蔵の中に入れられ、空腹を訴えながら、自らの糞尿にまみれて死ぬ。その最期の友は章子との日々をうたった白秋の歌集であった、という。

で、こう書くとなにやらかわいそうな人と同情心が湧きそうになるが、確かに別な意味でかわいそうだなと思うけれど、基本的に自分自身で悲惨な状況を作り出しているところがあるので、あまり同情しにくかったりする。むしろ周りの男たちが「よく耐えているな」と同情したくなる。とくに、彼女のために大徳寺の管長の地位を棒に振った感もある三番目の夫については離縁した後も(法的な根拠はないにもかかわらず)彼女へ金銭的援助などを行い続け、それは彼が再婚した後も続いたほどだ。せびられたらそれだけ与える。新しい妻が異を唱えるまで割とマメに続いた。正直、法主がそれほどまでにするような魅力ある女性には思えなかった。つまらん感想だけれども、自分勝手に生きるとそれ相応の人生だよ、ということだと思った。それと美貌って人生という尺度で考えるとあんまり役に立たないかも、ということも。

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