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2007年6月21日 (木)

浅川マキのロング・グッドバイを「読む」

寺山修司が彼女のために書き下ろした作品、ロング・グッド・バイ。寺山の作品で同名のものがあるが、それとはまったくの別作品。衝撃は比ではない。

いわくつきの作品で、さまざまな事情(詩を読めばその“事情”は容易に察せられるが)と浅川マキ本人の希望により、おそらくもう出版されることはない、といわれている。だが過去に一度だけ掲載されたことがある。その雑誌--古本屋サイトで探してみつけた「新譜ジャーナル別冊 浅川マキの世界」でようやく読むことができた。一読して、まず絶対に絶対に録音されて公に発売されることはないだろう、とおもう。朝鮮人のおじさんがガス自殺をした、それだけの話なのだけれども、wikipediaによれば寺山は渋る浅川マキに対して「マキがこの作品を唄わないならば、僕(寺山)が演出する意味が無くなる」とまでいい説得したそうだ。なるほど寺山がそこまで固執したのもよくわかる。確かにこの曲は浅川マキにしか歌えない。日本でもっとも優れたブルーズ歌手であり、怨念を抽出し普遍的な情念へと白く昇華できる彼女でなければならなかったと思う。それにしてもよくこんな詩を書けたものだ。これも1972年という時代だからこそできたものだろう。それにしても、二律背反するようだが、このまま世に出ずうずもれていくには惜しい。寺山に神が降りたような、奇跡的な詩である。途中にはさみこまれる鉄道唱歌がまさに哀歌だ。線路は続くよ、どこまでも。「はるかな町まで しあわせと たたかいのない日を 探すため」

今日はいささかセンチメンタルで、でも泣けば泣くだけどこか洗われたような気になり、夜の中におちる。また、明日。

 

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2007年6月20日 (水)

間一髪ネタも売れない芸能人にとっては貴重なお宝

なんていうか、非常に不謹慎な話ですが、渋谷シエスパ爆発事件の第一報を見たとき即座に“ああこれで中の中、ないし中の上あたりのタレントが『私も当日行く筈だったんですけど、急に○○(腹が痛いとか仕事がといった類い、もしくは行くなという声がした等のオカルトテイスト系の言い訳)があってやめたんですが…』としばらく飯の種にするんだろうな”と思ってしまいました。人間の第六感って本当に当たるんですね。それにしても若槻千夏とは。あまりにドンピシャ(死語)すぎてスペイン坂もビックリですよ。そんなことはさておき。

私はこのテの第三者による証明不可な自己申告話を、わー虫の知らせって本当に有るんですね、と唯々諾々と肯諾し、それは大変でしたね、と同情するほど人間が出来ていないので、まあこのような話を嬉々として(とはいってもはた目から見たら非常に真剣な面持ちで)語っているタレントをみると、人気商売は水商売だなと感慨深い。若槻千夏もこれでしばらくはやっていけるだろう。ごきげんようかなにかで熱心に語る姿が目に浮かぶようです。隙有らばどんな事件でも話題のネタに変換していかなければならない因業な仕事ですな。

以下記事ネタになったニュース↓

「常連客」若槻千夏もあわや!…渋谷温泉爆発事故 6月20日8時1分配信 スポーツ報知

 爆発のあった「シエスパ」は、タレントの若槻千夏さん(23)も愛用していた。若槻さんは19日夜、自身のブログを更新し、あわや事故に巻き込まれるところだったことを明らかにした。

 「今日の昼過ぎ、いつも行っているマッサージに行こうと思って品川駅から直接向かいましたが、何を思ったかやっぱりやめて家に帰り風呂に入り、風呂から出て自分で足マッサージをしました。テレビを付けたら、私が行っている、いつものマッサージの所が爆発してました」とシエスパに行こうとしたことを告白。「怖い。怖かったです。こーゆー事あるんですか」と締めくくっている。

 また、「桜」が大ヒットしたシンガー・ソングライターの河口恭吾さん(32)も自身のブログで現場の近くにいたことを記した。  
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070620-00000091-sph-soci

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2007年6月17日 (日)

みたい映画だらけ

とりあえず石井輝男ナイトはゲトしますた。

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2007年6月15日 (金)

元SPEEDの仁絵ヨガ本出版につきまして--いいぢゃないかスピルチュアルだもの

例えば復活タレント部門にもさまざまジャンルがある。

もっとも安易かつ手っ取り早いのは結婚して復活→奥様タレントである。歴史を紐解いてみれば、近くは藤原紀香から猛女キャラまで獲得した松居和代、古い例だと「主婦感覚が売り物です」林寛子なんかが該当すると思う。もちろんそれでもだめになっても無問題(モーマンタイ)。さらにママタレントして復活という道筋も王道である。そのほかさらにさらに議員として復活した扇千景、宗教復活という道を切り開いた開拓者小川知子。絵描きタレントで、と見せかけて実はオオモノget(死語)奥さまママタレ復活の“女神・オブ・ヤンキー”工藤静香、「主婦・ママとしての使い勝手にこだわって」通販デザイナータレントとして復活“眉間に刻まれた深い皺は実業家の必要十分条件”村上里佳子、外タレ→学習・資格派タレント→タレント議員とどてらい奴なりあがりこぼし満願蓮舫、外タレ→奥さまタレント→ママタレント→学習派タレントとして何度でも不死鳥のように蘇るアグネス・チャンなど、こう並べていくと綺羅星のごとくというよりは百鬼夜行、死屍累々という言葉が浮かんでしまうがそれは私の根性が右曲がり左曲がりのいろは坂だからですたいたい。閑話休題。
 
自転車まで棄てられているマンコ公園並みに奥深いそのジャンルには当然スポーツもある。この分野の開拓者はジェーン・フォンダあたりだと思うのだが、近年はヨガのチバレイあるいは“素モグリ日本一”高樹沙耶のヨガ式呼吸法やら、健康+スピリチュアル(イルカとお話して魂を通じ合わせるんですソウルメイツなヨガでインナーマインドの解放云々)というコンボ技が目立つ。正攻法だけでは、このバブル崩壊後不況から脱し格差社会となった現代社会においては、ドキ!女だらけのサバイバル!勝ち組へ復活メインテーマのゴングを鳴らしてポロリはだ~れだ(はぁと)と連戦連勝できんのだろう。

さてこのたび、健康+スピリチュアル部門へ元SPEEDの仁絵氏が参戦の名乗り(やってやるぜイノキ!!!!)を上げたらしい。なんでもヌーヨーク仕込みヨガ本を出すそうで、確か彼女はイラストレーターとしての修行もしていたと思うから、きっとこの本もイラスト満載なんだろう。ヨガ、スピリチュアル、イラスト。この黒い三連星のジェットストリームアタックによって、彼女の行く先には鶴太郎が満面の笑みで両手を広げているのが確定したことだろう。鳩のポーズでもいいぢゃないか、生き残りだもの。ひとゑ。

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2007年6月13日 (水)

参議院選挙新たな有力候補者が!

都知事選に黒川紀章が出馬したのがすべての始まりだったのか。それにしても今年の選挙は異常なくらい注目度高レベル。これはDVDレコーダを買えという啓示なのかはて。

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2007年6月 7日 (木)

「肉便器」考--便所であっても便器でないとはこはいかに?

時折、性行為に対して非常に活発な女性のことを「肉便器」と蔑称するケースが見受けられる。その言葉を目にするたび、どうにも違和感を覚える。不快感、というよりも、単純な違和感で、それはどちらかというと「そっちにむかって石投げても誰もいねーよ」という戸惑いに近い。

つらつらと考えてみるに、おそらくは「便器」という言葉が問題ではないかと思う。「肉」が性格も人格も知能指数もとっぱらった息をしているだけの生物、モノとしてのたとえであることはわかる。だが「便器」である。私は男性側の事情にはとんと疎いのでよくわからないけれども、少なくとも女性にとって(ナカには出産に使ってしまう人もいるようだが)「便器」といわれればそれこそ直裁なイメージ「大小便を滞りなく誰はばかることなく完遂できる場」しかない。いろいろな趣味資格妄想その他により便所で性行為を行う人はいるだろうが、いくらなんでもオマンチョに便器をいれようとする輩はおらんだろう。(世の中はワンダーに満ちているのでもしかしたらそんなアグレッシブな女性もいるかもしれんな)そうなると「便器」=「性行為」=「精子精液出し放題奉仕デー」みたいな連想ゲーム(壇さん大和田さん壇さん)が極めて難しいことがご理解いただけると思う。それとも男性というのは便器に向かって精液を発射する性癖が生来備わっているのか?まあ友達の家にいてムラムラと下半身が熱くたぎって萌えて燃えた場合は、緊急避難的にトイレでスッコリっていうのはあるだろうけど。

そんな男の思春期盛り上がるにきびと下半身タイガース事情はどうでもいいんですが、そういうわけで「肉便器」と聞いて私が連想するのは「やりまくりいきまくり豪快だぜおっかさんな女性」ではなく、家畜人ヤプーに登場するような「人間便器」である。つまり肉体上へ大小便をリアリスティックに行われてしまう人、というきわめてマニアックかつ妄想と幻想の狭間における屹立現象しか想像できない。そういうわけで「肉便器」と女性を蔑称している人をみると、ああこの人はSMマニアの中でも女性に便器願望を持つスカトロマニアなんだな、と思う。(もしくは便器に向かって射精をする性癖を有する方、とか。どちらにしろケッコウなご趣味をお持ちですな)

まあこう書くと「公衆便所」って言葉があるじゃないか、という意見もあるだろう。しかしねえ、「公衆便所」っていうのは「いろんな人が出入りする薄汚れた場所」と連想することが可能でありつまり比喩として成り立つが、便器はそういう「とんち」もしくは「○○とかけて××ととく、そのこころは」式の落語的オチを効かせる余地がない。便器は便器である。悪口あるいは蔑称というのは発言者と対象者の間に幸福な共通コンセンサスをとりつけてないと成り立たない。発言者は対象者との最大公約数を考慮しつつ用いる必要がある。このように考えると「肉便器」と発したとしても「えーアタシースカトロマニアじゃないしー」と思われて風に吹かれて転がる石と成り果てるしかないのではないか。なんとなく以前見た竹下景子のオナニーのように、誰を対象としてるのかいまいちターゲットを絞りきれない感がする。森光子のオナニーともなれば珍奇過ぎてかえってなにか神々しい気もしてくるが、竹下景子じゃなあ。「嫁さんにしたいナンバーワン」なんつー世論調査もどきがあったことすら忘却のかなたの世代にとっては「女だったの?」というオドロキのほうがでかかったりする。あと50年は寝かせたい。来世に期待。話がはるかにそれていったがなにはともあれ「肉便器」です。

以上、蔑称としての評価はナシに等しい「肉便器」だが、SMプレイ、スカトロプレイに用いる場合はその限りではない。スカトロなナニをしたあとに「この肉便器が!おまえなぞ俺の肉便器ぐらいしか使いどころがねえんだYO!」と豪快にイッパツかましてやれば、おそらくお相手は随喜の涙を流して「ああ…私って肉便器…」としとどに濡らしてくれることだろう。まあつまりなんですな、場にあった言葉を使いましょう、ということです。

ちなみに脳の具合がアレな私と彼(ハニーコミヤマ)はこの問題を考えているうちに、「肉便器」という語弊にみちた言葉に代わる新たな蔑称はないものかと夜中の3時にこねくりまわしておりました。その中で個人的に非常に味わい深かったのが、「肉性器」だった。「全身性器」っていうとなにやら非常に感度のよろしい褒め言葉的ニュアンスが生まれてくるが「肉性器」となると、肉じゃない性器を用いる人のほうが負け組感がしたりするので微妙だな。「肉こんにゃく」なんて美味そうだ。何の話かわからなくなってきましたがアレですよ、ズリネタも過激を求めすぎると一周してグラビアアイドルの水着姿が至上の愛みたく思えてくるのと同様に、妙にこれってイカス表現?みたいなものはムヤミに追求しないほうが吉かと。セックスもねえ、正常位が一番しっくりきたりするわけですし。ぷぅ。

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2007年6月 6日 (水)

康生がブラジルの治安に不安漏らすってもブラジルはそんな国なのです

康生がブラジルの治安に不安漏らす

男子重量級代表の井上康生(綜合警備保障)がブラジルの治安の悪さに不安を漏らした。この日は都内での世界選手権放送発表会見と所属会社が開いた会見をはしご。6月下旬から7月上旬にかけての欧州合宿後、同居生活を一時解消していた父明さんを呼び寄せ、再び二人三脚で世界選手権を目指す意向を表明した。だが、さすがの猛者も「ブラジルには応援に友達を誘うこともできない。いろいろと治安について聞いてますから」と苦笑いした。

[2007年6月6日9時24分 紙面から]nikkansports.com より

私の家族はブラジルにいるけれども、その話を聞く限りとても治安がいいとはいえない。外務省の渡航情報は「十分注意してください。」となっており、それだけみると悪名高き南アフリカのヨハネスブルグと同等ぐらいの危険度である。ちなみに注意地域に家族のいる市も見事に含まれている。

以下家族が遭遇した事件。

私の家族は現地で日本料理店を経営しているが、ある強盗グループに目を付けられてしまい、営業時間内に強盗にはいられてしまった。当然つかまるが、強盗の家族が警察へ金を渡して釈放。また同じ強盗に襲われる羽目となった。これが二度三度繰り返され、営業時間内に押し入り、来店客の金品まで強奪していくものだから、客からは訴訟を起こされ、強盗には襲われるでとうとうノイローゼになる者もでてきてしまった。弱った親戚は常連客である警察上層部クラスの人間に相談。しばらくのち、その人物が再び来店すると二葉の写真を親戚に見せた。そこには射殺された強盗グループの姿が。「もうこないだろ?」と微笑むその人物が以後親戚の店で高待遇されたことはいうまでもない。

別の親戚は農場を経営しているが、強盗を警戒して、フィラ・ブラジルエラという獰猛な犬を飼っていた。この犬は「世界の強い犬を掛け合わせて作った」(親戚談)という品種で、体の大きさはセントバーナード、顔はボクサー、体の模様はポインターで攻撃力はシェパードというふれこみだった。180センチほどある親戚に抱きつくと頭ひとつでるくらいデカイ犬だ。朝起きて家の周りを散歩していたら、確かに血が点々としていたことがあったそうで、効果はある、と親戚は笑っていたが、やっかいなのが種が固定されていないので、あまり頭がよくなく、晩年は飼い主でも襲い掛かるようになる恐れがある、ということだった。親戚はそうなったらこれで殺すよ、と銃をみせてくれた。
ある日、私の従姉妹だけが家に残り、他の家族は皆外出していたそのとき、ちょうど強盗団が押し入り、従姉妹はかなりひどい目にあってしまった。まだ若い従姉妹がどれ程の目に遭ったのか、またどれくらいの被害にあったのかは私は聞けなかったが、怒り狂った彼女の親は役に立たなかった犬を殺し、殺し屋を雇って強盗団を全員殺させた。

私が現地を歩いていると、従姉妹が「ちょっとそこの店に入ろう」と突然進路を変えることがあった。店に入ってもなにするわけでもない。しばらくすると外をうかがってでてしまう。なにをしてたの?と尋ねると向こう側の道を歩いてたやつがこちらに目をつけていた、危ない感じがしたので近くの店に入ってやり過ごしたんだよ、とのこと。ブラジルはそんな国なのです。

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レーシックをうけようか

伊達メガネ?と聞かれることもたまにあるのだが、私はかなり目が悪い。もしかしたら両眼とも視力0.05ないかもしれない。最近仕事先の人がレーシックの手術を受けたりと、まわりでもじわじわ増えている。メガネ代等々考えれば今がチャンスかしらんとも思う。昨日マイミクさんと飲んでいて、その方もレーシックをうけられたそうだ。品川近視クリニックを勧められて、さてどうしようかと考え中。(7、8月の沖縄行きを考えれば)裸眼で泳ぐならもうそろそろどうするか決めないとなあ。

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2007年6月 5日 (火)

ハニーコミヤマプレゼンツ<乙男とはなんぞや>「乙男のポリシー(1)」

「乙男」。

乙な男子と書いて「乙男」(オトメン)と読む。昨今ではファンシー雑貨や編み物に代表される「おとめちっく」なモノが好きなら即「乙男」であるという認識が、巷に流布しているようですが、それは断固として“NO!といえる日本男子”といいたい。そんなアロマテラピー好きなら癒し系みたいな安直かつ惑星直列な発想でどうする、吉屋信子以来の伝統的乙女道を守るのはいまや乙男をおいて他にあらず、真の乙男道は厳しく険しいものよ兄弟姉妹、と熱く伝授すべくあの男が立ち上がった。

そういうわけでこれからハニーコミヤマが「乙男とはなんぞや」を数回に分けて伝道コケシいたします。どうかよろしくお願いします。

***

「乙男」とは自分が知る限り自分が自発的に思いついた言葉および概念です。
ただ、今まで誰かが思いついてはいたものの、いまだに広く浸透していないだけかもしれません。
ひとまず暫定的に自分流の「乙男」ですが、最初は「おとこ」と読んでいたのですけれども、一緒にこういうこと(添付画像参照)もやっている親友にこの言葉及び概念を紹介した際に「オトメン」というイカした読み方を賜りました。
では「乙男」とは何か?これから数回に分けてその概念を説明していこうと思います。

まず大切なとして、乙女のイメージを構成する核は「純潔」です。
つまり、この場合は童貞に他なりません。ちなみに、
「28歳まで童貞を守り抜いた男は魔法が使えるようになる」
という設定の成人向けゲームがあるそうですが、ありゃウソです。
そんな個人的な事情はさておき、「乙女=処女性=…」という定義があるのならその逆があってもよい。いや、以前からあるにも関わらず単に形を与えられなかっただけではないか?
すなわち日常レベルで散見される「乙男=童貞性=…」の中の「…」の部分を、これから思いつくままに追求していこうと思っております。

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「あるスキャンダルの覚え書き」 おんなとせいよく

いかにもイギリス作品という感じ。品よく仕上げながらも、小粒だがきりっと渋苦味が効いた佳作。

ストーリーはオールドミスの教師(日本でいう中等部と高等部をまたいで受け持っているような感じ)バーバラ(ジュディ・デンチ)は辛らつ狷介な性格ゆえか親しい友もおらず、猫と孤独に暮らしている。そんな彼女の趣味は日記で、日頃の鬱屈を丸ごと吐き出すように綴るのが日課だ。そんなあるとき新任の美術教師シーバ(ケイト・ブランシェット)が赴任してくる。彼女の美しさに惹かれ、友達となり、入り浸る。ふとしたきっかけでシーバの秘密、まだ15歳の男子生徒と情交を重ねていることを知ったバーバラは「彼女を支配しよう」と日記に書き記し、実行に踏み切る。シーバの家庭を壊し、生徒と彼女のキャリアを破滅させ、バーバラのたくらみは成功するかに見えたが、シーバは企みを知り、家庭に戻っていく。そしてバーバラはまた新たなターゲットを見つける。

正直、この映画にでてくるのはいわゆる「えげつない」人間ばかりだ。(もっとも気をつけなくてはいけないのは、どこからどこまでがバーバラの視点で、どこからが登場人物たちの視点なのかがあいまいな点である。全てがバーバラの視点ともいえるし、そうでないともいえる。暫時都合よく脳内変換していくような人間の語る言葉をナレーションにしているので、それを信じるべきかどうかは観客にゆだねられている。)「労働者階級の学校」と自らの職場を一刀両断し、遠慮なく他者を罵りながらも、シーバの髪の毛まで収集し日記に貼り付けるような執念をみせるバーバラはもとより、その被害者たるシーバも、もとは自分の担当教授だった男を色仕掛けでその妻から略奪したような人間だし、その相手となる教え子の少年だって、問い詰められれば「性欲だけでした」とあっさりゲロっちゃうようなアリサマである。(その反対にシーバの家族は温かみのある描かれ方をしており、そこに安住しきれないシーバの業の深さが際立つ図式になっている)エゴとエゴがぶつかり合うような作品ではあるのだけれども、アメリカのサイコスリラーのようにこれでもかこれでもかと食傷するまで波状攻撃をかけるわけではない。いささか説明過多かなとは思うけれども、舌の上にいつまでもしつこく残り続けるというわけでもない。ぎりぎりの品よさを保っているのはさすが。ある程度の年齢いった女なら、バーバラの独白する「何かの拍子にバスの運転手の手が触れただけで下腹部が熱くなる」というような台詞には共感できると思う。孤独と性欲、そしてそれだけではない他者を求める有無を言わせぬ力。それに突き動かされるバーバラを哀れには思うけれども、共感はできない。ふとバーバラは同性愛者であることを認め、カムアウトすればもっと事態は良い方向へ進んでいくのでは?とも思ったが、それができないからこそ、ああいう人間へ作り上げられてしまったのではないだろうか。バーバラの願いを誰も受け止めない。シーバの欲求も受け入れるものはない。シーバを「愛した」男子生徒も、シーバの真の欲求からは逃げており、夫の思いを(根源的なところで)拒否しているからこそ今回の事態が招かれたことを考えると、誰の感情も交差せず、なんとなく登場人物全員が線の切れた電話機に一生懸命話しかけている印象があった。(シーバはダウン症の息子を預けられるようになったから教師になったし、娘の恋人はでてこず、彼女は「携帯」にむかって喜怒哀楽を繰り返している。)「受け入れてくれ」という叫びで構築された映画、といえなくもない。

アカデミー賞、主演助演女優賞にノミネートされたことをみれば瞭然であるが、とにかくジュディ・デンチとケイト・ブランシェットの演技合戦が見物。ジュディ・デンチは今回、常に人をバカにしなければプライドを維持できないような壊れた人間をいつでもシャツの第一ボタンまで締めている律儀さで演じていました。女優の演技合戦なんていうと、常に相手より一歩前にでることをお互いが意識しあっている様相を呈しかねないが、ケイト・ブランシェットはやや引きづられ気味ながらも、堂々と渡り合っていた。(どうでもいいが、ケイト・ブランシェットの旦那役のビル・ナイとジェームズ・クロムウェルが私はいっつも区別がつかない。)しかしジュディ・デンチはすごいね。こういう変態おサイコ系の役からシェークスピア、007の上司からイギリス女王まで演じきれる力量に驚嘆した。(そのあたりはアンソニー・ホプキンスをチョト連想したりしなかったり)さすがはディムですな。

昔、「マリアの恋」という佐藤愛子の小説を読んで、年をとっても性欲が存在したらどうしようと思った。男はそういう意味でうらやましい。年をとっても性欲を消費できる環境(つまり風俗やらなにやら)があるが、女にそれはない。賞味期限が切れてしまったらあとは腐り果てるだけなのだ。バーバラは醜いが、だがそれは単にオノレのある部分を鏡面の中に見出しているようなものなのだ。「性欲」と「補完欲求」という、「自分」の一番弱い部分を。

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2007年6月 4日 (月)

週末見た映画の簡易感想(詳細をあとでUPしますが)

・「あるスキャンダルの覚え書き」
・「イノセンス」(BD仕様)
・「オールド・ボーイ」

週末みた三作はどれもハズレがなかった。馬鹿ダメ映画ばかりみていると脳の具合に支障をきたすやもしれぬので、とりあえずきっちりしたのを見続けて脳メンテナンスに励んできますた。

・「あるスキャンダルの覚え書き」
ジュディ・デンチとケイト・ブランシェットの演技合戦が見物。ジュディ・デンチの、こういう変態おサイコ系の役からシェークスピア、イギリス女王まで演じきれる力量に驚嘆。(そのあたりはアンソニー・ホプキンスをチョト連想したりしなかったり)ケイト・ブランシェットはやや引きづられ気味ながらも、堂々と渡り合っていた。ストーリーとしては、やや説明過多かなとおもうが、それは私がヌーヴェル・ヴァーグの説明なさ杉なのが好きなせいもあるかもしれない。アメリカのサイコスリラーはこれでもかこれでもかと食傷するまで波状攻撃をかけるキライがあるが、さすがブラックユーモアのイギリス。品よく仕上げながらも、小粒だがきりっと渋苦味が効いた佳作です。見てソンはなし。詳細はまたあとで。

・「イノセンス」
BDってホントーーーーーに凄いッすね。まあストーリは別途。

・「オールド・ボーイ」
不条理オチのほうが私は好きなので、原作どおりしてほしかったが、そこは儒教の国だからだろうか。それにしても、邦画もこれぐらいうまくCG使って映像と音楽のマッチングをはかれないものなのだろうか。劣化してるよなーいろんな意味で。とりあえずこれも詳細は別途。

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2007年6月 1日 (金)

Wiiゲトしますた

ハニーコミヤマが池袋中探し回ってくれたにも関わらず見つからなかったのですが、合流し、サンシャイン通りを歩いてたところ、Wii緊急入荷のプラカードをもったビックカメラの店員を発見!並ばずにあっさり購入。だが私たちが買い物袋を下げて帰る頃店員はプラカードを下げ帰社するところだっ。

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「SF サムライフィクション」--ダメ映画には真面目に怒っちゃうわよアタシは

ダメ映画とバカ映画、というのがある。

ダメ映画とは「千年の恋 ひかる源氏物語」や「デビルマン」である。バカ映画とは(狙ってるにしろ狙ってないにしろ)馬鹿要素にあふれた愛すべき作品である。「北京原人」やら「幻の湖」やら「色情大名 徳川セックス禁止令」なんかがそれに該当すると思う。そういう区分でいえば、このMTVのクロサワさんが作った「SF サムライフィクション」は完全にダメ映画である。後述する理由もあるので、今回は真面目に怒っております。

もし突然「一番つまらないと思う時代劇映画はなんですか?」と尋ねられたら私は「サムライフィクション」と答えると思う。それも「つまらない時代劇」まできたらコンマ5秒即答できる自信すらある。それぐらい本当につまらなくてくだらない映画だった。

物語は山本周五郎を下敷きに(ってお前あんなのがそうだといわれたら周五郎が墓からよみがえってくるぞ)なんでもピースなサムライ映画を目指したそうだ。なんだよピースって。シガレッツのことでせうか。まあそのあたりの腑抜け具合からして、出来もしれようというもの。布袋寅泰に盗まれた宝刀を奪還せんと家老の息子(吹越満)が、戦いを挑むが返り討ちにあう。すんでのところで侍(風間杜夫)に助けられ、彼のうちで養生しながらその娘(緒川たまき)といい感じになる。んでおつきの忍者(谷啓…)とかそのあたりのギャグ要員と茶番を繰り広げ、夏木マリが見得きって最後、一見腰抜けサムライと思えた風間杜夫が実は凄い剣豪であることがわかり、布袋と対決して終了。

ここで唐突に恥ずかしながらも頑張ってカムアウトすると若かりし頃は布袋寅泰のファンでして(この告白とケツをだして銀座交差点で見得きるのとどっちが恥ずかしいか私にはわからん)この映画、どちらかというと期待満々でみにいったわけです。生涯に二度私は映画館で不思議な思いをしているが、そのうちの一回がまさにこの場で起きた。(後の一度はスクリームを映画館で見て爆笑していたら周りから胡散臭い目でみられたことですかね)鑑賞中、周囲は爆笑につぐ爆笑だったんだが、私にはその理由がさっぱりわからなかった。谷啓が受け手のないボケを一生懸命演じる姿は辛いのひとことだし、マリさんは一人だけかっこよすぎで浮いている。吹越はまあうまいけれども、布袋も悪役顔と存在感を十分に生かしてはいたが、それにしてもあまりにも殺陣が下手すぎる。下手な殺陣を編集と音楽でごまかしているのが丸分かりなのも辛い。風間杜夫が飄々とした剣豪をいつもの要領で演じていたのだけが救い。あとは緒川たまきの可憐さ、とか。(正直、監督がどこに比重を置いてるか非常にわかりやすい映画ともいえるが)

私の尊敬するある人はこういった。『僕は黒澤明監督のこんな言葉を思い出しました。「脚本が素晴らしければ、三流の監督が撮ってもどうにかなるが、ダメな脚本は一流の監督が撮ってもどうにもならない」結局、映画というものはどんなに映像が素晴らしくても、脚本の出来が悪ければその映画はダメな映画ということなんです。』私もそう思う。これに私は監督の哲学を加えて欲しい。哲学が言い過ぎるならコンセプト、といってもいいかもしれない。「何」が撮りたいのか。ピースなチャンバラなんて甘過ぎて蟻も寄り付かないようなことを抜かす前に、「子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる」でも100回みればよいのだ。編集と音楽で新感覚の殺陣をとりたいなら、まず基礎のできている人間が演じてからでないと、話にならないことを理解しろ。腰がフラフラと定まらない、浮き足立って刀を振り回すだけのヘナチョコチャンバラなんて、スタウォーズの旧三部作のほうがはるかにマシである。(最初は下手っぴを表すための演技なのかと思ったら剣豪設定の布袋までイチリツ罹患しているのが恐れいる)編集と音楽というある意味ドーピングを打ってうってうちまくっても、普通にうまい若山トミーにはまったくかなわないというのが悲しい。(まあアノヒトは天然全身ヒ○ポニストみたいなもんだからな…)

人を斬るのが嫌な剣豪というモチーフは少年ジャンプの連載マンガにもあったぐらいで、だからこそ映像で見せるのなら、なにか脚本で「魅せる」工夫をすべき。それを全て役者個人の力量へ帰着させるのは、正味の話監督および脚本家の腕のなさを露呈しているだけだ。山本周五郎的「いいハナシ」へ着地したいのか、浅春群像へ落ち着きたいのか、チャンバラをカッコよく見せたいだけなのか、はたまた緒川たまきをひたすら可愛く取れば気が済むのか、映画として成り立たせたいなら、全てのエッジをたたせようとするのではなく、引き算を用いて取捨選択するべきであった。そういう「映画の文法」が全く分からない人が編集と音楽でゴマカシゴマカシした作品がこの「SF サムライフィクション」であると私は断言する。(もっともこの取捨選択のできなさ加減はCASSHERNといった異業種参加監督に割りと当てはまる病理であると、私は思う。映像的な編集はできても、脚本の編集ができてない、というか)

この映画のレビューを見ていると、殺陣が新鮮だの新感覚だの新しいだのという賛辞がならんでいるが、そういう人たちは本当に時代劇を見たことがあるのか?と問いたい。新鮮と感じるほど見た上でいってるのか?目新しいのと新感覚を誤解してないか?ガレの真贋が分からない目で見ても、ただの古びたガラス工芸にしかみえないのと同様に、殺陣を知らない、あまり映画を見ない層に新鮮だの新感覚だの評価されても、それは単に底が浅いということの証左に過ぎないのではないだろうか?MTVのクロサワは、歌って踊るミュージシャンおまけ映像だけ撮っていればよかった、ということがよくわかった。まあなんですか、そもそもここで変に高評価を得てしまったことが、後の赤影なんてみょうちきりんなことになるそもそもの発端となってしまったのかもしれない。映画好きや時代劇好きはおそらく布袋の映画なんて、とハナから相手にしてなかったことが悲劇の原因なんですな。ダメ映画はダメ映画とちゃんと教えてあげないと無駄な予算が費やされ続けてしまうのだ。リメンバーCASSHERN!○○(お好きな映画会社監督名をドーゾ)よ、もうよせ!こんなことは(倒置法)。

SF サムライ・フィクション

SF サムライ・フィクション

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 1999/06/17
  • メディア: DVD

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